バッハイズビューティフル終わる!その2

先日のバッハイズビューティフル。
ゆっくり小学校の上野ようむ員さんの投稿を再録いたします。


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バッハの「平均律クラヴィーア曲集第一巻全曲」のCDをこのたび完成させたクラシックピアニストの高橋望さんによれば、この曲集の元々のタイトルは「ほどよく調整された鍵盤楽器のための曲集」だと言う。バッハは1オクターブ12音から得られる24すべての調性曲の作曲にあたり、自然で純粋な響きにわずかな唸りを受け入れる調律法を創出し、多様な表現手法を切り拓いた。唸りと不協和音は同一とは思わないが、当時は協和しない音とされていたのだろう。バッハはこの受け入れがたいものに折り合いをつけ、美しい芸術へと転化させたのだ。このプロセスは、自然社会と人間との関り方、目指すべき生き方そのものではないかと、望さんは言う。ある種の濁りを含む美のかたちは、日本人の美意識である「不完全の美」にも通じるようにも思う。
ドクターの枠を超えたアーティストの稲葉俊郎さんは、カルマン渦、クラドニ図形、BZ反応……、などなど、多様な切り口で、見えない音を可視化してくれた。とある本によれば、音楽と雑音の違いは、音の波形に秩序があるか、無秩序であるかの違いだと書かれているが、俊郎さんが見せてくれたあらゆる音たちは、生命のように秩序を保ちながら、調和を形成していく姿を見せてくれた。
そして、俊郎さんは言った。「自然音を生かした雅楽や東洋の音楽は、ノイズ音を含んでいる。なぜなら自然音はノイズ音なのだから」と。
自然倍音で作られた純正律には、自然な美しい響きがあるため、純正律で奏でられる音にこそ真の癒しがある、みたいなことを言う人もいる。でもその主張に、ずっと違和感をもっていた。バッハはむしろ、雑音を許容する「ほどよい調律」によって、自然界の多様性を表現する道を選んだのかもしれない。自然とは多様性であり、“雑”だから、だ。
“雑”の研究者でもあるゆっくり小学校校長の辻信一さんは、伝説的な映画『バグダッド・カフェ』をモチーフに掲げながら、「バッハ・イズ・ビューティフル」論を展開。実は、『バグダッド・カフェ』には、「平均律クラヴィーア曲集」を弾く黒人青年が、折に触れて登場するのだ。辻さんは、鶴見俊輔さんの『限界芸術論』を引きながら、次のように言った。
「鶴見さんはクラシック音楽のような芸術領域を純粋芸術(ピュア・アート、ファイン・アート)と呼び、それより俗悪で親しみがあり、商業化されたものを大衆芸術(ポピュラー・アート)と、さらに広大で生活との境界線上にある芸術、境界を越えて生活とつながっている芸術領域を、限界芸術(マージナル・アート)と呼んだ。『バグダッド・カフェ』には、ヨーロッパとアメリカ、大都市と砂漠、ラスベガスと田舎のカフェ、白人と黒人、バッハとポップス、文明と自然……それぞれの境界を示す記号が雑多に描かれている。劇中の「平均律クラヴィーア」は、これらの境界を自由に縦横無尽に飛び越えていく“限界芸術”の記号なのではないか」
「純粋芸術という囲いが生まれる前に、バッハは生きていた。望さんの今回の「平均律クラヴィーア」はその囲いをはずす、新しい感性から生まれ出たものなのではないか」
辻さんと対談してくれた人類学者の中村寛さんは、かつてピアニストを志した経歴の持ち主。バッハが用いた対位法という技法から、“対位法の人類学”というテーマで話しをしてくれた。対位法とは、複数の独立した旋律を調和させる作曲技法。左手が右手に従属するのではない、両手でメロディを奏でるというもの。寛さんは言った。
「例えば、人間は不都合や不協和音というものに対位したとしても、秩序を形成する行為へと向かい、調和へと結びつけようとする。美とはその究極のかたちである」「奴隷として強制的に連れて来られた人たちが最初に行ったのは、新しい文化形成をはじめることであり、その中で音楽は、重要な役割を果たした」と。
ヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』に、アウシュヴィッツ収容所から見えるザルツブルクの山並みが夕焼けの茜色に染まり、その美しさに魅了されるとの様子が描かれている。人間はどんなに困難な状況にあっても、希望や美を見いだそうとするもの。美とは、芸術とは、お金もちの贅沢品ではない。人間の人生を支え、輝かせてくれる、本質的なものなのだ。
「アーティストとは特別な人のことではない。すべての人が特別なアーティスト」アナンダ・クーマラスワミ
なーんてことを、みんなで縦横無尽にしゃべってしまったものだから、肝心のピアノの演奏時間がなくなってしまった(汗)。最後はお待ちかねの望さんの演奏で本会は終了。
「音楽は政治的に利用されることがあっても、それ自身が人を傷つけたりするものではない。言語を介さず、言語を超えて、人々の身体に触れるもの。それが音楽の素晴らしさだ」
寛さんのこの言葉の通り、望さんの平均律クラヴィーアの旋律が、身体に心に魂に、やさしく触れてくる。
望さんの演奏は、クラシック音楽という壁を感じさせない、無理のない、自然体の演奏だ。今回のCDは、誰にでも寄り添ってくれる、暮らしを輝かせてくれるものだと、自信をもってお薦めしたい。
本会を経て、もっと望さんのピアノが聴きたい! と思った人も少なくないはず。神戸と東京でのリサイタルにも、みなさんの愛をもち寄って、足を運んでもらえたらうれしい。
「必要なのは愛だけ、愛はすべてだから。愛こそが答え、問いが何であるかに関わらず」サティシュ・クマール
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◆CD
髙橋望「平均律クラヴィーア曲集第一巻」

◆ピアノリサイタル
髙橋望「平均律クラヴィーア曲集第1巻全曲」
◎神戸→こちら
◎東京→こちら


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