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ゴルトベルク変奏曲解説(1/20プログラムより)

◆ゴルトベルク変奏曲の由来 

この作品は、ザクセン選帝侯宮廷駐在の前ロシア大使カイザーリンク伯爵の勧めによって生まれた。
 伯爵は、しばしばライプチヒに滞在しゴルトベルクを連れて来てバッハから音楽の教授を受けさせた。伯爵は病気がちで、当時不眠症に悩まされていた。
同家に居住していたゴルトベルクはそのような折、控えの間で夜を過ごし、伯爵が眠れない間何かを弾いて聴かせねばならなかった。
 ある時、伯爵はバッハに、穏やかでいくらか快活な性格を持ち、眠れぬ夜に気分が晴れるような曲をお抱えのゴルトベルクのために書いてほしいと申し出た。変奏曲というものは基本の和声が常に同じなので、バッハはそれまでやりがいのない仕事だと考えていたが、伯爵の希望を満たすには変奏曲が最もよいと思ったのである。
 しかし、この頃バッハの作品はもうすべてが芸術の模範というべきもので、この変奏曲も彼の手でそのようなものとなった。しかも、彼は変奏曲の模範としてこれ一曲しか遺さなかった。
 伯爵はそのあと、この曲をわたしの変奏曲と呼ぶようになった。彼はそれを聴いて飽きることがなく、そして眠れぬ夜がやってくると永年の間、「ゴルトベルク君、わたしの変奏曲をひとつ弾いておくれ」と言いつけるのだった。
バッハは、おそらく、自分の作品に対してこの時ほど、大きな報酬を得たことはなかったであろう。伯爵は、ルイ金貨が百枚詰まった金杯をバッハに贈ったのである。


以上は、バッハの弟子フォルケルがバッハの息子らに聞いた話として「バッハ小伝」(角倉一朗訳、白水Uブックス)に書いている。この逸話から、これは不眠症の伯爵が快適に夜を過ごせるように作曲された曲で、演奏した人の名前からゴルトベルク変奏曲と通称されるようになった。ゴルトベルクはバッハやバッハの長男の下で学んだ音楽家で、楽譜を逆さまにしても初見で演奏できるなど卓越した鍵盤楽器奏者だったという。そしてカイザーリンク伯爵と面識があったのも事実。というのも伯爵の息子とゴルトベルクは年齢が近くて仲が良くバッハの下で二人とも学んだからである。
 しかしこの曲が出版された時、ゴルトベルクはわずか14歳。いくら名人でも時間的な整合性が取れないと思う。
 と長年私は考えてきたが、すみだトリフォニーホールで心に残るゴルトベルク変奏曲を披露したピアニストのピーター・ゼルキン氏はわずか13歳でこの曲をマスターしていたというインタビュー記事を昨夏読んだ。それならば、ゴルトベルク少年もこの年齢で演奏していたと考えれられなくはない。楽しい逸話の範囲を出ないかもしれないが、興味をそそられるエピソードであり、この曲の名前の由来となった。

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